これは、当犬舎がブリーダーになるキッカケとなった、とある話をブログにて掲載致しました。
もし、宜しければご一読下さいますようお願い申し上げます...
【 愛犬白の物語... 】
…………………天国にいる白………
…元気にしてますか?白が亡くなって20年以上経ちますね………
今日は、白ときららままの壮絶な10年間をお話したいと思います。
~第一章~
―――仔犬が我が家にやって来た(●^o^●)
我が家に1匹のワンコがやってきました。名前は白、生後45日の男の子です。
私が小さい頃お爺ちゃんの家で秋田犬のメス犬(ケリー)を飼っていました。
当時は、母が仕事で電車通勤。
その母をケリーが日毎駅まで迎えに行ったそうです。
何年か経って私が産まれて、 よく母が買い物に出掛ける時にケリーが、玄関にいてちゃんと私を守ってくれていました。
、、、月日か経ち、父に、「あの犬はどんな犬なの?」と聞くと、
「あれは、秋田犬だよ」と教えてくれました。
その瞬間、私の体にパッと電流が走りました。
それ以後、秋田犬が好きで好きでたまらなくなり、 秋田犬に惚れて惚れてずっと憧れてきました。
29歳になった時、憧れの秋田犬(白)と出逢ったのです。
何せ、自分で飼うのが初めてだったので、飼い方が全く解らず、とても苦労しました。
煮干をやったり、ドックフードと野菜を食べさせたりしましたが、 正しい餌の与え方がサッパリ分かりませんでした。
そのせいだったのでしょうか、白の体にだんだん異変が起こり始めました。
それからは、獣医師にかかりつけになり、獣医さんとの相談でずくで白を育てることになりました。
獣医さんもあまり秋田犬を扱った事がないのか、白が実験台のような感じになりました。
私は、白がだんだんと皮膚がおかしくなるのが不安になり、 本当にこのままでいいのか解らないまま獣医さんの言われるままにしていました。
すると、白の目のまわりに赤いポツポツが出来て顎の下にも赤いポツポツが出来てきました。
獣医師が「ステロイドの入った薬を渡しますから、餌に混ぜて食べさせて下さい。
但し何年か経つとこの薬を続けてるかぎり、 皮膚が最後にはボロボロになって象の様な皮膚になります。
「秋田犬は昔からこういう皮膚病が多いんです。」 と言われ私は仰天しました。
とてもこの獣医さんとは付き合えないと思い、他の獣医さんに代わりました。
新しい獣医さんに代わり新たな治療が始まりました。
やはり、ここでも秋田犬の扱いが解らないのかまたまたステロイドの投与が始まりました。
私は、獣医院に連れて行くのが嫌で嫌でたまらなくなってきました。
ある時、目に異常が出たので慌てて獣医院に連れて行きました。
その時白が初めて獣医に「ウ~ッ」と怒ったのです。
私は白が怒った意味が分かりませんでしたが、 獣医師が強い薬を打ったので、 白の目がポコッと出て出目金のようになってしまいました。
おそらく、白は危険を察知して怒ったのではないでしょうか。
その後白はかわいそうにだんだんと目が見えなくなってしまいました。
獣医さんも悪いと思ったのか、一言
「ごめんね」
と言ったのを覚えています。
~第二章~
―――分からないままに…
これでは何の為に獣医院へ連れて行ったのか、意味が絶無です。
白の目を治す為に獣医院に連れて行ったのに、 光を失う羽目になってしまったのでは、話にもなりません。
悲しくて、悲しくて、涙が止まりませんでした。
当時の私は、獣医師の治療の仕方に納得しておりませんでした。
同時期に私も自分の皮膚病に悩まされていましたので、 ステロイドに頼りきりになるのは、オカシイのではないかと自分なりに思っていたのです。
白の薬(特に、ステロイド)に頼りきりになるのをこの時から止めました。
そして、ステロイドを止めたせいで、 白の顔が全部白い毛が抜けて血膿だらけの顔になりました。
それでも白は悲しい声一つ出さずに頑張っていました。
散歩に連れて行っても見るも無残でした。
膿にまみれた顔を見て通りすがりの人や、ご近所の方の
「…可哀想に…」と言う声が私の耳に入り、
居ても立ってもおられないような心地でした。
白の顔には血膿の臭いで虫が飛んできました。
家に帰って来て、白の顔を米のとぎ汁を霧吹きのようにかけて、 膿を拭いてあげたりしました。
顔の血を膿を拭きながら、懸命に私の治療に耐える白。
何度泣きながら
「白…白……ごめんね…ごめんね…」といって抱きしめたことか分かりません。
雨の日、湿度で余計痒いのに耐えて…
暑い夏でも、虫が寄って来るのに耐えて……
1年かかってやっと白の顔に白い純白の毛が生えてきて……
本当に嬉しかった事を昨日の様に覚えています。
このまま、白の目も治るといいのに………
と欲深い事を考えてしまいました。
でも、この子の目の代わりを私がしなくっちゃ!!
この子を守るのは私しかいないから!!
とにかく自分が納得する方法で白を守り抜こうと決心しました。
~第三章~
―――光に向かって...!
白の顔の治療も治まり、散歩に出掛けるとご近所の方が、
「白ちゃん良く頑張ったね。よぉくここまで治ったね! あの時は本当にヒドカッタネ…。大人しくてとってもいい子なのにね…。」
と、手放しで褒め称えてくれました。
この当時、白は、何を食べさせても皮膚の状態が良くありませんでしたので、 何かいい方法はないものかととにかく頭を悩ませていました。
いろんな本を読んだり、秋田犬の情報を取り入る努力を続けていました。
その当時、「秋田犬保存会」という組織があるのを知りました。
ここに電話して秋田犬に関する全ての事を学びたい!!
と思い立ち電話をしてみました。
すると、事務所の方が岐阜支部の連絡先を教えて下さり、 早速支部の支部長さん宅に連絡をとりました。
支部長さんは、とても快くお話を聞いて下さいました。
そこで、秋田犬の話を色々教えて下さり、私の白の話も聞いて頂けました。
その時、近日中に秋田犬保存会の支部の展覧会があるので、遊びに来てください。 とお誘いを受けました。
私は、
「ひょっとしたら、そこに行けば白の治療に役に立つ事があるかもしれない…」
と思い、藁をもすがる思いで支部の展覧会に出掛けました。
そこには、色とりどりの立派な秋田犬が多くいて、 まさにそうそうたる顔ぶれでした。
「この中に家の白を助けてくれる人がいるかもしれない……」
そう思うと私は必死でした。
いろんな人に声を掛けてみました。
しかし皆さんは展覧会に愛犬を出陣するため必死の様相で、 私の話を聞くどころではなかったでしょう。
そんな時、ふと一人の男性の方が私の話に耳を傾けてくれました。
その方に白の現状をお話した所、1枚の名刺を頂きました。
その時点で、その方が私の師匠になるとは、夢にも思いませんでした。
何日か経ってある日その男性の方に電話をしてみました。
今の白の現状を事細かく話して、 白に合った餌の調合を教えて頂き、言われた通りに餌を与えて見ました。
すると、白の皮膚の状態がだんだん良くなっていくのが目に見えるように分かりました。
当時の餌のやり方は、小松菜と白菜と鶏のささ身を細かくして、ドックフードとご飯少しの味噌を入れて自分で作ったカルシウムを混ぜて食べさせていました。
たまに、白が嘔吐したり倒れたりして歩けなくなる事があったので、仕方なく獣医院に走り獣医師に漢方薬をもらって飲ませていましたが、 どうやらその漢方薬も合わず困り果てていた私にご近所の方が、
「一度、大学病院の畜産科に動物病院があるから、足をはこんでみたら?」
と教えていただき、白を連れて大学病院に足を運ぶことになりました。
(因みに岐阜大学の畜産科は全国的にも有名と聞いています。)
~第四章~
―――本当の治療に向かって...
以前の獣医師なら白が倒れて連れて行くと
「もう、モタナイカモ……万が一の事を考えておいて下さい。」 と、よく言われて、
「嫌だ!!何とか助けて下さい!!先生お願いします!!」
と泣きながらお願いをしていました。
同じことを言われるのでは?
と不安な気持ちで大学病院の門をくぐりました。
でも、大学病院の先生は、白を見る目が従来の獣医師とは全然違いました。
初めて私が安心して、納得のできる治療でした。
私は、これまでの獣医に診てもらった内容をこと細かく話しました。
すると先生は、
「こんな重篤になる前に、もっと早くうちに連れてこれば良かったにね。犬が可哀想ですよ。」
と言われました。
以前にもらった漢方薬を見てもらうと、
「これは、白ちゃんには合ってない漢方薬だよ。それにこの漢方薬はきついからやめときましょう。」 と言われました。
ドックフードも、白にあったものに変えなさいと指摘されました。
白がよく夜中に鳴き出すため、原因を聞くと、 どうやら、ビタミン不足で関節がきっと痛むのでしょうと言われました。
ビタミン剤を餌と混ぜることにより、 白の体が順調になっていくのが手にとるように分かりました。
ほっと一息ついたのですが、今度は餌の食いが悪くなりました。
おかしいなあ...?
と思ったのですが、どうも口の中に歯石が沢山たまり、歯周病にかかってしまったのです。
口の中が歯石まるけで、とても大変でした。
原因は米をずっと食べていた為、歯石が長年にわたり、溜まったのです。
きれいに除去する方法としては、全身麻酔をして行うのがベターということでした。
しかし、体が弱っている白に全身麻酔は出来ません。
命に関わるかも知れないからです。
やむを得ずに、化膿止めを飲ませて、アイスピックの先を火で炙り冷やして、白の口の中の歯石を取る方法を実行しました。
毎日、毎日、コツコツ、コツコツ、白の歯石を取る作業?を続行しました。
歯石を綺麗に取ると、白は見る見るうちに、 朝晩の餌をペロリと平らげるようになりました。
白のシャンプーをする時も、 体に負担を掛けさせないように神経を使って洗いました。
白は私のする事が分かるのでしょうか、 本当におりこうさんで協力してくれました。
大学病院に連れて行った時も、 白は初対面の先生におとなしく応えてくれていました。
私にはそれが嬉しく、今でも記憶の中に鮮明に残っています。
~第五章~
―――力の限り...
白が光を失ったのは、2歳の時です。
秋田犬の正しい知識がないままの飼育。
自分達の思うまま、勝手に飼ったのが、失敗の一大原因でした。
何度も何度も後悔ばかり。
今でもそれが残ります。
白は、目が見えないために、当然ながら、ゆっくりゆっくりのペースでしか歩けませんでした。
杖をついて歩いているお年寄りよりも遅くにしか歩けません。
本当にゆっくり、ゆっくりの亀さんが歩いているペースでしか歩くことが出来ません。
雨の日も、雪の日も、嵐の日も、時には雷が突然来ても、走る事が出来ないので、白も私も、 頭の上から全部ビタビタのびしょ濡れになってしまって、そりゃ大変でした。
白は、目が見えなくても、誰とでも仲良く接する事ができる犬でした。
もちろんワンちゃんともわけ隔てなく接することが出来る犬でした。
おっとりとしたマイペースな子でした。
とにかくこちらの気持ちが分かる子で、 白なりに気を遣っていたのではないでしょうか。
ただ、病気をいろいろとしていたせいか、 オス犬なのにメス犬よりやや体が小さく育ってしまい、 育て方の分からなかった私...
白には申し訳なかったと今でも悔やんでなりません。
いい子なのに…
とってもいい子なのに…
すごく気持ちの分かる子なのに…
私が、白を分かってあげられなかった…
ごめんね…白……
私のたった一人(1匹)の大切な、大切な白。
例え、どんな形であろうとも、
私の気持ちはずっと…ずっと…変わらないよ…
いつまでも、いつまでも…一緒にいようね。
私には、白しかいないから…
ずっと、守っていくから……
大好きだよ…白。
そんな気持ちにさせてくれた白に感謝してます。
それから、毎月の大学病院の先生が、
「白は、今体力がかなり弱ってきているので、 このまま低空飛行の状態を上手に保つ事を考えてこの子にあった治療をしていきましょう。」
と、先生がおっしゃいました。
家から車で約45分位掛かる道のりを白と一緒に月1のペースで通いました。
時には、車に一度も酔った事のない白が、 かなり体力が弱ってきて、嘔吐する事もありました。
でも、白も私と一緒に体を治そうと頑張ってくれました。
白が、そろそろ10歳になる前の冬季、私の仕事がとても忙しく、 しっかり、白を見てあげられないかもしれない。
どうしよう…
困ったな……
と思いつつも白の体を労わりながら仕事と白の管理に明け暮れていました。
雪が降りそうな寒い日の夕方。
白が突然散歩用の紐を持って来て、散歩に行こうと合図をしてきました。
私は、「うん。いいよ。一緒に行こうか。 でもね、白、今日はとっても寒いんだよ…あなた、体大丈夫なの?」
といいながら、ゆっくり、ゆっくりしか歩けない白と散歩に出掛けました。
白は、一生懸命にゆっくり歩いてくれました。
きちんと、ウンチもおしっこもしてくれました。
家に戻り、暫くしてから、出来たての温かいご飯を前に白は一粒残さず綺麗に食べてくれました。
その時です…
白が「ギャン!!」
と今までにない声を出しました。
ビックリして、白の所に駆けつける私。
白が舌を出して伸びていました。
私は「白!!白!!どうしたの!!
何で息してないの!!白!!
嫌あ~!!ダメェ~!!
逝かないで!!逝かないで!!
誰か助けて~!!お願い!白!
帰ってきて!! 一人ぼっちにしないで!!
白!!シィロ~!!」と
腕に白を抱きかかえながら泣きじゃくりました。
すぐに、町医者に見てもらいましたがもう逝ってしまった後でした。
~最終章~
―――有難う白...
当時、大学病院の診察は、午前中の時間帯しか診てもらえず、 どうしても町医者に頼ざるを得なせんでした。
後悔が残りますが、この現状ではやむを得ませんでした。
それから以後、私は白の事だけしか頭から離れませんでした。
毎日毎日何もしたくなくて、ただ呆然としていました。
ペットショプの前を通っても、仔犬が可愛いとは、ちっとも思いませんでした。
仔犬を見たい…という気持ちにはなれず、いつも見ないようにしていました。
毎日辛くて…辛くて…自分を責めてばかりいました。
やがて、白が亡くなり初夏が来て、1匹の秋田犬が我が家にやってきました。
白が亡くなる前に自分で高床式犬小屋を造っていましたので、 その中でわんこを飼うことになりました。
「こんどこそ、白の命を無駄にしてはいけない!!」そういう気持ちが強く沸いてきました。
秋田犬保存会の展覧会に何度も足を運び、犬を出陳したり、 秋田犬の皮膚病について、色々学んできました。
私は、これまでの自分の歩んできた道、そして経験を、 秋田犬の好きな方々に少しでも多くの事を伝えて行けたらいいのにな………
と思い、秋田犬のブリーダーの資格を取りました。
犬は可愛いだけで飼えないのです。
秋田犬は、皮膚が弱い犬です。
私は、犬の良いところ、悪いところをきちんと皆様にお伝えして、 秋田犬の素晴らしさを解って秋田犬と共に人生を楽しんでいって頂けたらいいのにな…
と思っています。
血統書付の犬は、雑種犬と比較すると、先天的に病弱な場合が多いのも事実です。
だから、血統に拘る事は、人間の自己満足にすぎず、犬にとっては迷惑なのかもしれません。
しかし、種を守る為には血統に拘らなければならないわけですから、ブリーダーとしては、正直悩む所です。
※幼犬時代にはその症状は出ませんが、牡犬、成犬と年齢を重ねるにつれ、目が白く混濁したり、 皮膚病が酷くなったりする犬が、秋田犬にはかなり多く見られました。
(30年以上前)現代ではその症状は確実に減少してきてはいますが、しかし、100%確実に「無」というわけではありません。
想うに昔、非常に子出しのいい種牡がいました。
この仔犬達は展覧会での成績が抜群に良くて、(特に幼犬時代)
我も、我もと交配が殺到しました。
しかし成長するにつれて、ほとんどの犬が皮膚病にかかってしまったのです。
つまり「遺伝的」に皮膚病が出る血統、系列だったということです。
秋田犬の繁殖が盛んになヨーロッパ、特にドイツでは、目が白くなったり、
皮膚の出る、出たことのある犬には、交配を認めない、つまり、血統を発行しないと聞いております。
当犬舎では、特に遺伝性を「重視」して、
先祖にどのような症例の無い犬を厳選して交配、繁殖に努めています。
我が家の一員として、愛育して下さい。
ますますお客様に対して、これは私達ブリーダーの当然な義務。
当犬舎はそのように考えています。
最後までご拝読頂きまして誠に有難うございました。
私は命を預かる大切な仕事をしています。
秋田犬は無償の愛を持つ愛のある、愛に深い犬だと実感しております。
皆様のもとに、この想いが届きますように...
真心込めて発信します...
ここを見つけて下さり、ここをお探し頂きましたことに心からの感謝を込めて...